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チオの日記

1人で静かに暮らしています。

オタクでいられなくなる日は来るのか

人生

 

僕も以前、「趣味中心の生活って、いつかモチベーションを保てなくなるときが来るのではないだろうか」という懸念を抱いたことがあります。

 

例えば、子供を育てるのって、強力な生きるモチベーションになると思うんですよ。子供は日に日に成長していきますからね。その成長を見守り、支えるのは、大変なことですが、生きる上での大きなモチベーションとなることは間違いないと思います。

 

「オタク」の定義は曖昧なものですので、冒頭に掲載した2つのツイートも人によって受け取り方は異なるかと思います。僕はこの「オタク」というのを、「(主に1人で)趣味に没頭する」 生き方と解釈しました。

 

 

オタクではない生き方をすれば幸せになれるのか? 

結論から言うと、生まれつき「考え方がオタク」な人はオタクでいたほうが幸せなのではないかと思います。「考え方がオタク」な人というのは、特定の物事の情報や物資を集めたり調査したり考察したりするのが好きな人のことです。

 

僕は、小さい頃からそういうタイプの人間で、幼稚園の年長の時点で以下のようなことができました。

漢字辞典を愛読していたため、小学校で習う漢字はほぼ読める

・日常で使うレベルの四則計算は難なくできる

・日本の都道府県と県庁所在地を全部知っている

 

親が買い与えた辞典やドリルやパズルを1人で黙々と楽しんでいたので、幼稚園児の時点でこれらのことができたのです。その代わり、周りの子供たちが興味を持っているようなことにはあまり興味を示さなかったように思います。友達と何をして遊んでいたのかあまり記憶にありません。

 

学校に通うようになって以降は、集団に馴染むスキルがそれなりに身につきました。「自分は集団に馴染めるようになったんだ」と思いそうになりますが、実際は精神力をガリガリ削りながら頑張っているだけなので、無用に集団と関わりすぎると疲弊してしまいます。1対1の人間関係であっても、関わりを持つのは「本当に自分と合う人」に限ったほうが良さそうです。

 

 

自分にとって適切な刺激とは?

1人で過ごすのは退屈なことでしょうか? 僕はそうは思いません。気の赴くままダラダラして、精神力が溜まってきたら体を動かしたりクリエイティブなことをしたりすればそれだけで楽しく過ごせます。人と過ごすのが嫌いというわけではないですけれどね。気の合う人と一緒に過ごすのはとても楽しいです。

 

僕が中学・高校時代、何とも言えない居心地の悪さを感じていたのは、「刺激過多」であったからかもしれません。大学時代は1人で過ごす時間が多く、周囲の人たちと適切な距離を取れていたので良かったのかな、と思います。雰囲気ものどかな場所でしたしね。

 

 

先のことはわからない

身も蓋もないことを言ってしまうと、中・長期的な意味では、先のことはわかりません。今、何を選択しようが将来後悔する可能性はありますし、悩んでも仕方ないかなと思います。気楽に楽しめることをやればいいってことなんでしょうね。

 

自分で言うのも何ですが、僕の「内的モチベーション」力は結構高いと思います。先日、会社の先輩から「チオくんは、成果を人に見せびらかすこともなく、淡々とやることをこなしていて凄い」と褒められ、嬉しかったです。

 

とりあえずは、自らの「内的モチベーション」力に自信を持ち、オタクな人生を送っていきたいと思います。