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チオの日記

1人で静かに暮らしています。

アップダウンの激しい凸凹な人生よりも、平坦な道を歩いて行くような人生がいい。

昨日、雨宮まみさんが亡くなったというニュースを見て「えっ」と声が出た。確かまだ40歳だったはずだしちょっと前に雨宮さんの文章を読んだし……などと思いつつ記事を読んだ。

 

雨宮さんが自らのブログで最後に書いたエントリ。これを読んで僕は「世の中の何%くらいの人が『死にたい』と考えたことがあるのだろう」と思った。そして、以前に僕はそんなことをブログに書いたなとも思った。

 

もし、痛みや苦しみを感じずに死ねるボタンがあったとしたら、押すことにあまり抵抗はない。そして、そんなボタンがあったとしたら世の中の何%くらいの人がそれを押したいと思うかにもなんとなく興味がある。

 ああ、そうだ。こんな表現だった。自殺願望ではなく希死念慮

 

1人ぼっちで生活していれば、「ツラくなったら死ねばいいや」と思える。そう思っていることで、逆に気楽に生きていけるという側面はあると思う。「ツラいときでも頑張らねばならない」と思いながら生きるのは窮屈だ。

 

今年はこれまでの信念に反して、1人ぼっちの生活をやめてみた。結果、睡眠が満足に取れなくなって、思考がまとまらなくなって、口が乾いて、首こりが酷くなって、だるくて、落ち着かなくて、それまで楽しんでいたことが楽しめなくなった。仕事が大変だった8月のある夜、僕は布団の中で涙が止まらなくなった。喉の炎症からの発熱も続いてもう散々だった。

 

ぼっち生活に戻って、徐々に自分のペースを取り戻してきた。やはり自分には社会性というものが不足しているのだという少し悲しい確信は得たが、日々をのんびりと過ごせる開放感は何物にも代えがたい。

 

他者から褒められたり尊敬されたりしたらそれはとても嬉しい。だけど、ちょっとした心ない言動など、些細なことですぐ傷ついてしまう。情けない話だ。すぐ他者から影響を受けてしまう。僕は「1人で何でもこなす強い人間」に見られることがあるようだが、それは違う。弱いから1人なのだ。たくさんの人と関わりあえる人のほうがよっぽど強いと思ったりもするけれど、1人で過ごすのが苦手で誰かと一緒に居なきゃ不安というタイプの人もいるだろうし一概には言えないか。

 

人と仲良くなるのには体力がいるし、今ではその体力はもうだいぶ失われていることに気づいた。昔は、知らないうちに誰かとすごく仲良くなったりしていたものだが、今ではそんなことは起こらないしきっと今後も起こらないのだろう。

  

アップダウンの激しい凸凹な人生よりも、平坦な道を歩いて行くような人生がいい。プラスの刺激とマイナスの刺激、両方等しく受けたとしても自分の中にはマイナスのほうが強く残ってしまう。だから、多くの人にとっては刺激が足りないくらい凪いでいるほうがきっと自分には丁度いい。

 

……まとまりのない文章になってしまった。最後に「いいな」と思った山田ルイ53世さんの記事についてのツイートでも貼っておこうと思います。