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チオの日記

1人で静かに暮らしています。

思考とコミュニケーション

人生

人とコミュニケーションを取る中で、一体どう返答すればよいのか分からなくなることがある。もうどうにも分からなくなってしまって、完全に黙りこくってしまうのが常なのだが、先日このようなシチュエーションに直面した際に、

「~~~したいと考えているんだけど、~~~と言ったら嫌味に聞こえるんじゃないかと思ってしまうし、~~~は全然的外れかなと思ってしまうし、どうしたらよいのか分からない」

というような感じで正直に思考の中身を話したら、「えっ、どうしたの?」と心配されてしまった。と、同時に以前読んだあるエントリのことを思い出した。

 

最初このエントリを見たときは「ふーん。まぁ、自分もそういうところあるかな」と軽く読み流した程度だったのだが、実際に「考えすぎ」という状況に陥ったことでこのエントリのことをふと思い出し、再度読み返してみた。

 

「仮説を立てて聞いてみた」「コミュ症の人の『思考のクセ』」のところで挙げられている実例は僕の場合とはちょっと違うかと思うが、僕もコミュニケーション中に考えすぎてしまっていることは間違いないだろう。仕事においても、入社1~2年目の頃は上司から質問された際に、「この質問の意図は何なんだ……!?」ということが気になってしまい、間違った方向に頭を使いすぎて簡単な質問にも全然答えられていなかったように思うし、日常の雑談においても、「『~~した』の主語は誰だ??」「動作の対象は何だ??」「これはAという意味か? それともBという意味なのか?? はたまたC???」などとぐるぐる考えてしまい、大人数でのコミュニケーションにはまず付いていけない。

 

なぜ自分がそのような思考パターンになってしまっているのかはよく分からない。きっと原因は1つではないのだろう。ただ、おそらく主要な原因としては、自らの感覚がちょっと平均的なところからズレていることを自覚しているがゆえに、考え至った結論や直感的に抱いた感想などを相手に受容してもらえる自信がなく、自分の思考をアウトプットすることに躊躇いが生じてしまっている、というところなのではないだろうか。

 

そういう意味では、僕のちょっとズレた部分を面白がってくれる人はとてもありがたい。逆に、そういう部分で揚げ足を取られるととてもツラいし、そういう人とは一切コミュニケーションを取る気がしなくなる(経験上、チャラいリア充系な雰囲気の人物にそのようなタイプが多い)。

 

「どうしたらこの思考のクセが直せるのか」を考えてもそれは分からないが、こういう思考のクセを持っているからこそ長けている部分っていうのもあるのかなとは思う。例えば僕は、「文章の書き方が上手い」とか「プレゼンが上手い」とか言われた経験がそれなりにあるのだけれど、それはおそらく自分自身が、主語や目的語がハッキリしていなかったり表現があいまいだったりすると理解がしにくくなってしまうことを普段から強く感じていたり、誤解を招きやすい表現に敏感だったりするがゆえに、「わかりやすい表現」を生み出せているからなのではないかと考えている。

 

もっと気楽にコミュニケーションを取れるようになりたい。でも、自分の長所にもしっかり目を向けてあげたいなとも感じた。