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チオの日記

1人で静かに暮らしています。

「努力」とは

人生

ちょっと前の話題になるが、このエントリがホッテントリ入りしていた。


短いエントリだしソースも曖昧なので実際に所ジョージさんがどういう文脈で言ったのかは分からない部分もあるのだけれど、僕もどちらかというと「努力」に対しては否定的な考えを持っている。

 

また、「努力」に関しては度々議論が巻き起こっているのを目にする気がする。昨年は為末大さんのツイッターでの発言が物議を醸していた。



そもそも「努力」とは何なのか。人によってその捉え方が違うことが議論が巻き起こる一因(そして意見が噛み合わず議論にならない)な気がする。

ど りょく [1] 【努力】

( 名 ) スル
心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること。つとめはげむこと。 「目標に向かって-する」 「 -のたまもの

 (大辞林より)

 

「骨を折って事の実行につとめること」と書かれているように、自らの体に鞭打って目標を達成しようと励むという意味合いであると僕は捉えている。なので、もしその目標が達成できなかった場合、「鞭打ち損」になるわけだ。そして、その傷は時間が経てば自然と治る擦り傷ではなく、その後の人生において枷となる精神的な傷なのだ。また、貴重な時間も大きく失ってしまうことになり得る。僕が「努力」に対して否定的になのはそういった理由からだ。

 

僕がこれまでの人生の中で最も努力を重ねた時期は中学高校時代だ。「部活と勉強を両立しどちらも頑張るのが良い中学生・高校生である」と信じこんでおり、テニス部に入って毎日ヘトヘトになりながら生活を送っていた。中学時代は、部活が終わって家に帰ってくるとそふぃ様のように「ぷしゅ~」となってしまい、「もう動けない……」と廊下に倒れこんで母親を困らせたのは一度や二度ではない。なんとか宿題を終わらせ就寝し次の日は6時過ぎに起き7時半から朝練……。よくあんな生活送ってたな、と今改めて思う。土日も部活があることが多かったし……。そして、高校時代はまた別のツラさがあった。部活での人間関係が悪かったのである。それが原因で高2の頃は精神的にズタボロだった。気力が一切出ず、家族以外の人間とまともに口がきけないくらいまで精神的に追い込まれた。中学の頃も高校の頃も僕はほとんど休まず真面目に部活に参加していたのだけれど、結局実力は全然付かなかった。部内でも下手な方から数えたほうが圧倒的に早い実力だったし、出場した数少ない大会でも結果は1回戦負けと2回戦負け。さらに、高校時代は明らかに勉強が疎かになってしまい、受験勉強にものすごく出遅れた。

 

というわけで、僕はテニスの才能がまるで無かったのである。頑張っても頑張っても実力は伸びないし、そこに人間関係でのストレスも合わさってもう本当に苦しかった。「努力しても報われない」と、僕は「努力」を呪った。

 

高校3年の6月に部活を引退してから受験勉強を始めたのだけれど、これが存外楽しかった。勉強をやればやるだけ成績はグングン伸び、そこそこの大学に現役で合格することができた。大学に入ってからも、暇つぶしくらいの気持ちで勉強して受験したTOEICで870点を取った。英語はどちらかと言うと苦手意識のある科目だったのだが、意外といけるもんなんだな~という感想を抱いた。しかし、それと同時に「中学高校時代の自分は勉強にもっと時間を割くべきだった」という後悔も強くなった。部活に使った時間すべて……とまでは言わないが、その5分の1でも勉強に充てていたらだいぶ違ったと思う。

 

同じだけ努力すれば等しく成功するなんてのは幻想だ。いくら努力しても無理なものは無理だし、逆にそんなに頑張らなくてもスルッと上手く行っちゃうこともある。そして、後者の場合はそれに取り組んでいる最中も結構楽しかったりするもんだ。だから、「ツラい……上手くいかない……」という場面にぶち当たったら、一度立ち止まって冷静に考えてみるべきだと思う。

 「今やろうとしていることは本当にそこまでしてやらなきゃいけないことなのか?」